アイドルのいない月曜日

入信しました。

Twin mirrorたたんでも

前記事でプリパラ全般について書いたが、推しについては紙幅が足りなかったので詳しくは触れなかった。今回は改めて推しことドロシー、否、ドロシー&レオナについて書きたい。

また、二人のことを語る上で、外せない楽曲がある。アニメ「プリパラ」第85話よりドロシー&レオナで「Twin mirror♥compact」。このライブを見ると「双子」というある種究極のシンメ形態について思いを馳せたくなってしまう。是非以下BGMにして読んでほしい。

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なお、この文章は根本的に「シンメ尊い」教の人間が書いていることにご留意されたい。

 

ドロシーとレオナは、対称的なキャラクターデザインがなされている。水色/ピンク、前髪左流し/右流し、わがまま/シャイ、「僕」/「私」、そして、女/男。

ドロシーが「ボクっ娘」であることは間違いないが、レオナは所謂「男の娘」に分類されるのかも知れない。しかし私はこの分類は正確でないと思っていて、と言うのも「男の娘」は女装少年を指す用語だが、レオナが「女装」なのか「少年」なのかは極めて曖昧だからだ。レオナはプリパラの外の姿は男の子で、制服も男子用だが(私服はショートパンツなど中性的)、例外的に「プリチケが届いている」。そしてプリパラの中の姿は女の子だ。レオナの「心の性別」については一切描かれていないのでここでも推論しない。だが前記事でも書いた通り、プリパラの外の姿と中の姿はどちらも「私」であり、主従関係にはない。「肉体的には男の子であるキャラが、女の子の格好をしている」とは一概に言えないだろう。

と、いうか私は「女の子であるキャラに、男の子という属性が付け足されている」のではないかと考えている。これはレオナの「心の性別」が女性であって、プリパラの中では本来の自分になれているんだということではない。「レオナ」は事実として「女性アイドル」である。そして「ドロシー&レオナ」は双子姉妹アイドルなのだ。タイトルにも引用したが、「Twin mirror♥ compact」の歌詞には「♪二人はsister」とある。まず女性アイドルとしての「ドロシー&レオナ」があって、シンメである2人の対称的なキャラ付けとして、肉体が女/男、という属性が付け足されたのではないか。

まあ制作陣が違うと言ったら終わりなので、具体的なキャラクターデザインの手順についてはそこまで断言できないが、「アイドルとしてのドロシー&レオナ」を語る余地はあるように思う。つまり、シンメとしてのドロシー&レオナについて。

 

初めに「シンメ」概念を導入しておくが、これはジャニヲタ用語で、「(主としてJr.時代に)シンメトリー位置で踊る特定の二人組」のことを指す。ジャニーズJr.の基本的な仕事である先輩のバックダンサーを務めるにしても、Jr.たちはシンメ単位で仕事を割り振られる。勿論相手が退所してしまったなどの理由で、固定の相手がいない場合も多い。しかしながら、後にユニットに属する際にも活きてきたりするので、単なるJr.の立ち位置と切り捨ててしまうことはできない。入所からデビューを経て20年30年単位で隣にいる、という組もいくつか存在するし、一生もののパートナーになりかねない存在なのである。例を出せばKinKi Kidsは10代前半で出会って以来、Jr.時代からシンメ位置でSMAPらのバックについて、そのままデビューし昨年20周年を迎えたし、そのKinKiのバックとして結成されたKAT-TUNは、シンメ×3で構成されていた。その内の1組が亀梨和也赤西仁であり、二人が単なるシンメ位置のダンサーとして以上に特別な対として世間的にも認知されていたことは確かである。

ジャニーズには星の数ほどシンメがあり、その関係性は簡単に分類できるものではないが、殊思春期のアイドルたちにおいて、①セット売りに嫌気が差す ②いっそシンメを売りにしていく という相反する二つの方向性が存在することは指摘できるだろう。①は自我のある人間としては当然のことで、「嫌気が差す」というのは言い過ぎにしても、プライベートでは別に遊ばないし……くらいのことは言うだろう。しかしながら、アイドルとして人気が欲しいとなったとき、②はかなり有効な手段になってくる。ここでシンメを売りにする、と一口に言ってもやり方は様々で、恋人か?と言わんばかりの仲良しっぷりを見せつけてくる人々もいるが、一つの類型として「運命」がある。曰く、「あいつと俺は正反対」「クラスメイトだったとしても絶対仲良くならなかった」「だけど俺のシンメはあいつしかいない」。顔が似てるだの仕草がシンクロしただのチップ&デールだのと言われて知る、他者性・自我の芽生えを①とするならば、互いが他者であることを前提として、対であることを再構築する行為が②であると言える(仲良し営業だって、初めは他人だったと分かっているからこそするのである)。

通常、「私たちは他者だったのだ」という気付きを得た人間は、互いの道を応援するよ、という別離の方向に進む。二次元作品の双子たちは、大半がこの描かれ方をされてきたと言えるだろう。

例を挙げると、「アイドルマスター」シリーズの双海亜美/真美姉妹は正に「二人で一人」。初期のゲーム内では二人で「双海亜美」というアイドルを共有している設定になっていた。当然声優も同じだし、メンカラも共有。髪型は亜美が右側、真美が左側のサイドポニー。しかし2011年放送のTVアニメ、及び同時期に発売されたゲーム「アイドルマスター2」で、亜美のみが「竜宮小町」というユニットに所属することになる。TVアニメ内では、第6話で亜美が竜宮小町としてデビュー、一足先に人気が出る。必然的に真美は1人仕事、他のアイドルと組んで行う仕事が多くなり、他者となっていく。初めは2人揃ってプロデューサーをからかってくるほとんど見分けのつかない双子だったのが、亜美は天真爛漫、姉である真美は少し背伸びしがち、という違いが見えてくるし、そもそも初期のゲームでは完全に対称だった髪型が、TVアニメ及び「2」では真美のサイドポニーが長めに垂れたデザインに変更されている。また、第9話「ふたりだから出来ること」では他者性を認めて、真美が「真美も超売れっ子になって、亜美と一緒に仕事できるようになる」と言うが、これはシンメ意識=対であることの再構築とは同一視できないだろう。真美はたとえ超売れっ子になったとしても竜宮小町を解体させてまで亜美と組む気はないだろうし、むしろ、別々の道を行ったとしても二人は繋がっているよ、ということを言おうとしていたのではないだろうか。

私自身は双子ではないので当人たちの感覚がどのようなものなのかは憶測でしか語ることができないが、少なくともフィクションにおける外見の似た双子は、相手を「もう一人の自分」と認識し、「私たち」と「それ以外」という感覚を共有する傾向がある。思春期になり世界が広がり、それぞれに相手の知らない大事なものができることで、「二人だけの世界」が崩壊し、自立した人格として社会に出ていくことになる。初めから外見が似ていないとか、男女の組み合わせであるという場合は早い段階から他者性に意識的であるだろう。完全に対称でない、「ズラしたデザイン」(眼鏡の有無、髪型の長短など)もまた潜在的な他者性を視聴者に訴えている。そして少年漫画的な「成長」や、恋愛要素が絡むとなるとほぼ確実に、一度分岐した二人の道は、また同じ道を歩く日が来たとしても、もはや別の道なのである。互いだけで世界が完結しているような、互いを補完し合うような「対」性は失われていく。

しかしながら、アイドルたちは他者である「からこそ」対であろうと振舞う。私はそこに人間存在の希望を見出してしまうのだと思う。自分とは違う、しかし、だからこそ、自分よりも自分を理解してくれる存在。そのような、人間存在に決定的に空いた穴を埋めてくれる運命的な相手を夢見ている。それは人によっては「王子様」などと呼ぶべき理想的な恋愛の相手の形をしているかも知れないし、切磋琢磨し合える永遠のライバルであるかも知れないし、「光と影」的なバディかも知れない。いずれにせよ、私は「シンメ」に「私」と絶対的な他者としての「あなた」を投影している。

 

話をドロシー&レオナに戻そう。最初の双子回は第18話「レオナ、全力ダッシュなの!」。らぁらたちが通う私立パプリカ学園に、ドロシー&レオナが転入してくる回である。冒頭でらぁらに、なぜ男の子なのにいつもは女の子の格好をしているのか*1と訊かれた二人はこう答える。「小さい頃から、ドロシーとお揃いの服を着てたから」「アイドルとしてのキャラ作りだよねー」

レオナの発言を補完すると、「小さい頃から、双子の姉とお揃いの服を着ていたので、現在もプリパラで姉とお揃いの女性アイドルの格好をしている」。これは微妙な言い回しで、つまりレオナにとって「女の子の格好」である以前に「ドロシーとお揃いの格好」である、というのだ。この段階でレオナは、①の手前の状態にある。レオナはいつも、ドロシーのわがままに対して「ドロシーがそう言うなら」と追従することを良しとしてきた。第18話でそのような態度を「優柔不断」とシオンに批判されたレオナは、自分の意見を持つことを覚えていくことになる。①他者性、自我の芽生えだ。

一方実は、ドロシーの発言は②の段階にある。「お揃いの格好をすることは、アイドルとしてのキャラ作り」、即ち彼女は既に自分とレオナが違う人間であることに気付いているからこそ、双子であることを演出しようとするのだ。そこがドロシーを姉らしく見せている要因である。

この話では、相手の意見を受け入れ、尽くす性格が「天性の優しさ」として肯定され、レオナは「皆の楽しい笑顔を見たい」を自分の意見としてメイキングドラマに盛り込んだ。ラストシーンでは「私もこれからは、自分の思いを、皆の思いと同じように大事にしていきます」と言い、ドレッシングパフェの結束も深まる。

2ndシーズンに入ると5人チーム結成を巡ってドラマが生まれていくが、その中で女性でありながら男性として振舞ってきたひびきがレオナに興味を示す。自らの在り方を「あるがままです!」と答えたレオナは(第74話「紫京院ひびきの華麗なる日常」参照)、春のグランプリを控えた第84話ラストシーンでひびきのチームに勧誘されると、ひびきを止めるために加入することを決断する。第85話、ドロシーは「バイバイするためのライブなんてそんなの変だよ~~~」と暴れるが、危機的状況に陥った自分を助けに来たレオナを見て、もうかつてのように守られるだけのレオナではないのだ、「レオナは昔のままじゃなかったんだ。僕はそれに、気付いていなかったんだ」「レオナはもう一人でやっていけるんだね」と別離を受け入れる。そして「レオナがそう言うなら」と冒頭に挙げた「Twin mirror♥compact」でさよならライブをすることになるのだ。

まず1番の歌詞を引用してみよう。

イイコト2倍 ヤなコトはシェアで

we areツインな感じで来たよ

まっくす全力出せる りらっくす優しくなれる

ギュッと抱きしめ合ったら何でもできる

 

ホントはね もうね 気付いてた

違う夢探して…(走り出した)こと

 

Twin mirror♥compact ハートとハートがchu!

少し怖いけどバイバイ(見つめてバイバイ)

Twin mirror覗き込んで 涙の跡拭いて

離れていたって 『LO♥VE』繋がる

互いだけで完結していた世界が徐々に開けて、それぞれの道を進むことになる。だけど繋がっているからお互い頑張ろうね、という前述した割と典型的な双子の物語パターンに一致する。

でもこれじゃなんかね ズルじゃないけど あれ?

we areツインなコトに 甘えちゃってる?

 

大切だから 好きだから 背中合わせになって…

(前へ行くん)だすっ!

 

Twin mirror 開いたら 勇気を交換こ

あのね気持ちは一緒さ(だから大丈夫)

一人になることは 悲しいことじゃない

おニューな二人で またはしゃごう!

だが、2番では決定的な「背中合わせ」というワードが登場する。「背中合わせ」は単なる別離ではなく、違う方向を向いて支え合うことだ。そう、この別離はあくまで二人の未来のため。春のグランプリのみ、ひびきを止めるための別離である。つまりはチームに還元するためのソロ活動。お互いソロ活動を頑張ることで、掛け合わせるものが大きくなり、二人での(、そしてドレッシングパフェとしての)活動を盛り上げることができる。「抱きしめ合っ」て完結した世界で生きてきた二人は、シオンという第三者との出会いを契機として、物語の中で何度も他者性を確認し合った。その上で、他者であるからこそお互いのためにできる・できたことがある、それは嬉しいことなんだと「背中合わせ」になるのだ。

似てるようで似てないheart 鏡に映す未来

ほらね 僕は僕 私は私で

 

Twin mirror♥compact

見せて前よりpretty smile(ピンクのほっぺで)

Twin mirrorたたんでも ずっと二人はsister

離れていたって 『LO♥VE』繋がる

 

いつでもどこでも

『愛』(for you)

繋がる!

「似てるようで似てない」二人は、Twin mirror=互いだけで完結した世界から出ていく。しかし、互いだけで完結することをやめても「二人はsister」。このフレーズに込められた意味を読み解くには、もう一つ参照すべきエピソードがある。

3rdシーズンはらぁらの妹・のんの参戦、姉妹女神ジュリィ/ジャニスの登場と、「姉妹」の話が主軸となっていた。*2ジュリィとジャニスはプリパラの「表/裏」を司る女神。ジュリィとそらみスマイル、ジャニスとノンシュガーが深く関わっているので、ドロシー&レオナの姉妹関係に言及されることはなかったのだが、第130話、女神たちからキャラたちへエールが贈られる際、ジュリィは「レオナ、一生守る人が決まってるなんて、あなたは幸せな子ね」と言うのだ。

果たしてただの姉妹だったら、つまりいずれ分かれていくことの決定付けられた姉妹だったら、そのような言葉をかけられるだろうか。らぁらとのんも姉妹ライブをするし、大変仲の良い姉妹であるが、それぞれに大事なチームがあって、アイドルとしてはライバルである。この先勿論家族なので助け合うことはあるだろうが、「一生守る人が決まってる」なんて唯一無二の絶対的なパートナーであり得るだろうか。

「二人はsister」が「一生守る人が決まってる」という意味合いなのだとしたら、やはり第85話における別離宣言は、むしろ対であることの再構築と捉えられるだろう。レオナは第18話で、自らを「月」、ドロシーを「太陽」に例えている。「私は月で、明るい太陽がドロシーで、照らしてもらって輝ける」。それじゃだめなんですね、と言うレオナに、そふぃは「あなたと私、似てるかも」と声をかけ、「月」という在り方は否定されない。このことが全てで、ドロシー&レオナは本質的に「太陽/月」という「対」なのだ。それを「表/裏」を司る女神であるジュリィから認められた、という文脈は重要である。

と考えると、「僕」/「私」、女/男というキャラ付けは太極図を彷彿とさせてくる。陰中の陽と陽中の陰。どちらがどちらなのかは混沌としているが、二人の世界が広がったとて、二人が他者であるからと言って、対であることは変わらないどころか、むしろ強まる。この「対」性が、私がドロシー&レオナという双子を究極のシンメ形態と呼ぶ所以である。*3

 

 

なお、こんなことを長々と書かなくても十分ドロシー&レオナは魅力的なキャラクターである。まずめちゃくちゃ顔が可愛い。あと声も可愛い。情に厚いし、プリパラが大好きである(ドロシーのプリパラ愛が伺える第53話「み~んなプリパラ禁止令」は凄く好きな回だった)。でもそれだけではなくて、例えば3rdシーズンでそらみに敗れた後、「アイドルタイム」で修行の旅に出たシオンを探して、二人はどこまでも「にんじゃもんじゃ」の屋台を引いていく。三人共がドレッシングパフェをホームであると認識しているからこその距離感が、素直に良いグループなのである。そして、夢破れたからこそ強くなれるということを教えてくれる限り、三人が神アイドルになるいつかの日を信じ続けたいと思う。

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*1:プリパラの外でらぁらとレオナが会うのは初めてなので、プリパラ内での姿を指していると思われる。

*2:3年目に入り、より低年齢層のプレイ人口が増えていたことが理由なのではないかと推測する(前記事にも挙げたが、こちらを参照されたし。らぁらはなぜ年を取らない? - 『プリパラ』誕生秘話と今後の期待、タカラトミーアーツ・大庭晋一郎に聞く【後編】 | マイナビニュース)。

*3:ちなみに「似てるようで似てない」けれど「対」として生を受けたことに自覚的であるタイプの双子というのは、思い返すとこれまでにも何組か出会っていた。アニメ「少女革命ウテナ」の幹薫/梢、「戯言」シリーズの匂宮出夢/理澄(殺し屋/探偵で精神が男/女)、「TANATHOS」シリーズの立花美樹/真樹(死神/探偵)など。双子ではないが、アニメ「蒼穹のファフナー」の真壁一騎皆城総士(存在/無)も共依存→①ギスギス→②鉄壁のコンビ、という道筋を通る(しかもなんとデュエットキャラソン「太陽と月」が存在する)。これからも蒐集していきたい。